今は昔

4年前、友人と茨城の海へ行った。

寒明けもそぞろに、内陸県民の本能にひそむ熱い憧憬に誘わるるがまま、友人の車に揺られて海を見た。昼頃につき、夜の海を楽しんで帰った。

時間も熱量もあるが、どうしたって金はないから食事は低め少なめで見積もるし、そのくせ面白そうなものには惹かれるもので、行きのついでに現地の総菜を買ってつついたりと、どうにも映えのない旅だった。小海老の甘煮、鯉の刺身にアイスプラント、たまりかねて買いに走ったコンビニ弁当。

寒風吹きすさぶ夜の海、冷え切ったそれらを堪能するには、あまりにも自分らの味覚は肥えすぎていた。

とはいえ、これまたどうしたことか、自分らにはこれがよほどツボだったようで、この日を境に、特異な旅情感を持った遠征グループが出来上がった。メンバーも増え、自分は二輪と四輪を手に入れ、人員の輸送も、行動範囲も広まり、今に至るまで自分の人生の中でももっとも濃密かもしれない青春を形成してくれたコミュニティでもある。

東は行った、北もちょっと行った、西はまだまだ、南はもっと欲しい。

ただ走るためだけに山へ行った。ちょっとした漫画の聖地めぐりがしたいと、街も走った。星を見たいといって、泊まりがけで遠征もした。深夜の通話中、日の出が見たくなってきたと言って、急遽太平洋側へ躍り出たりもした。

自分の愛車は2シーターで、車中泊する人種に一切の人権を与えない布屋根の棺桶だが、そういう窮屈さでさえまんざらでもない充足感を感じるほどに、こういう旅が好きだったのだと思う。


「あの頃は凄かった」
「もうあんな風には出来ないな」

年末、忘年会をしていた時に出た言葉だ。
つい先日の伊豆旅行でも、同じような話が出た。

社会人になり、体を休めるための休暇の価値はインフレし、その日時ですら都合も合わず、物理的な面で不可能なのだから、しょうがない。否が応にも人は前に進んで行かなければならないし、過去を振り返るにしても、前への注意を疎かにしてはいけない。

伊豆では宿をとった。銭湯の雑魚寝でもなく、車中泊でもなく、宿である。温泉もあり、足をのばして眠れる、柔らかな布団がある。正直のところ、これまでの旅がまるで冗談だったような気持ちでいた。
疲労も相まってあまりに心地よいのでうとうとしていたら、友人が絶え間なくちょっかいをかけてくるから、枕でぶん殴ってやった。しかし、よけられた。

素泊まりだから食事はないが、夕食は中華料理屋へ行った。翌朝は著名な道の駅で金目鯛のバーガーをほおばり、「観光地よナメるなよ、これが大人の財力だ」と啖呵を切るがごとく、お隣の定食屋をはしごした。旨いものは飲むように食べられるのだ。

夕方には海沿いを歩き、休み明けのことを、それぞれの明日を、将来を憂いながら帰路に着く。社会人とは、そういうものなのだろう。
この旅のさなか、人はいつ死ぬか分からないから、とか、この先老いていったら、とか、やけに抗えない時の流れを意識した会話も多く、水平線をもにじませる夕闇でさえ、ささやかな陰りを塗りつぶせずにいた。

日々は連なり、やるべきことが増え、やりたいことを潰し、激動のようにも感じる平坦な時間をやり過ごし、気づけば身にも心にもくたびれが窺える。こうなってしまえば、月日は百代の過客でもなく、行く年も不貞腐れて万年床に臥す。

そうして過去と現在が明確に剥離していき、その間を日々という分厚い膜で何層にも隔たれるうち、ついに過去の行為に再現性がなくなっていく。「いつからが昔なのか」と考える時、いろんな観点はあるだろうけど、まっさきに思い浮かぶのはこの、再現性がなくなった時のように感じる。

「今はもう出来ないだろうね」

そう受け入れた瞬間、その記憶と経験は昔のものとなり、蝋燭のように、鉄が錆びるように、じんわり、じんわりと風化していくに違いない。

もし、出来ないのであれば、会わなくなるかもしれない。会わないのであれば、話すこともなくなるのかもしれない。話さないのなら、疎遠になる。
疎遠になり、その関係が昔のものとなり、ただ朽ちゆくままに、いずれ無かったことになるかもしれない。だって人間は、前に進んでいるんだもの。新しい環境で、新しいことをする。過去を割り切り、そう生きていくのであれば、それでさえも正しい選択なのだろう。

そこで、ぼんやりと思い出した記憶があった。
就活の頃、こういう話をしたのだ。

「社会人になるうえで、過去のコミュニティとの関係が希薄になっていくことに、少し怖く思うところもあります。」
「みんなそう思って社会に踏み込むんだよ。誰かが言い出すのを待ちながら、ひたすら口をつぐんでる。だから、そのままじゃ想像通りの結末になる。”誰かが”ではなく、”君が”声をかけ続ければ、問題ない。」

とてもとてもエラい人の言葉だ。単純な話だけれど、人生の遥か先を行く人間の話ともなれば、重い一撃のように思われた。
こういう言葉も思い出す。

「人を動かすのは、君の熱量だ。」

これも、それはそれはエラい人の言葉だ。
元来自分はやる気も、興味関心、執着もないように見られるような風体で、いや、間違いではないのだが、それにしたって自分には無理な話だと流していたお話である。
おそらく、就活の頃は仕事のことしか視界にないから、主体性とか、熱量とか、そういうものを熱心に仕事へ向け続ける自分というのが想像できなかったもので、この期に及んでもそれは正解だった。

その一方で、自分の好きな人々、好きな物事にこれを注ぐというのであれば、それは苦ではないし、たいそう大事なことだと今になって気付いた。今更だ。この歳になって。それでも、死ぬ寸前に気付くより、よっぽど良いはずだ。
エライ人はきっと、それだけの熱量と向上心を持って仕事に励めと言いたかったのだろうが、もはやそんなことは些事である。やんごとなき方々の御言葉を、自分は自分の我儘のために、この話の中においてはすなわち、自分の好きな人々の後ろ髪を引っ張るためだけに使ってやろうという意気込みである。

「今はもうできないね」

そう言うのであれば、忘れたころにでも似た企画をぶつけてやるのだ。今だってやれることを証明できたなら、過去になる余地はない。都合が合わず、日々梨のつぶてになると言うのなら、何年かけてでもモノホンの梨を投げ続け、馬鹿言ってないで旅に出るぞと戸を破ってやるのだ。そういう気概だ。

再現性がある限り、思い出も経験も、きっと今を生き続けてくれると信じたい。
目を離せば新しい道へと歩んでいきそうになる彼らの後ろ髪を巻き上げ、過去化する思い出を今へ呼び戻せるのであれば、こんなにロマンチックなこともないだろう?と晴れやかにささやき、車内に押し込んで遥か未開の地でフィッシングでもキャンプでもしてやるのだ。

徒然なるままにブログを立ち上げたのも、好きなことへの最大限のアプローチを続けることが、のちの自分を少しでも救ってやれるのではないかと思う、つまり利己的な理由なわけである。そう言って更新しないことも否定できないが、これはサガだからしょうかない。

ともかくまずは、また旅がしたい。
今度は二泊ぐらいしたい。長ければ長い方がよい。
何泊もすれば、一度くらいは枕叩きをお見舞いしてやれるはずなのだから。