馬鹿舌に紅茶

カップ&ソーサーの蒐集という趣味に片足踏み入れたのは、もう去年の夏のことである。両足のくるぶしぐらいまで沼に浸かり、自重で沈みつつあるのが今日この頃である。

蒐集するからには当然ブランド品がよいが、ブルジョア御用達価格の諸メーカーなんて、以ての外だ。かといって、安いのも違う。それでいて、この趣味においては国産というのも違う気がするし、比較的安価で大衆を意識しつつ、舶来品でありながら国内においても入手容易なメーカとなれば、ウェッジウッドロイヤルコペンハーゲンなのである。

そういう、勇み足なわりに涙目で、腰砕けな姿が哀愁を誘うのがこの趣味である。

何故好きになったのかは分からない。紅茶が好きとか、仕事で少し関わりがあったからとか、それらしい理由はあるが、どれも違う気がする。好きな理由というのは、どんな趣味においても迷宮だ。

初めて購入した「コロンビア ゴールド」も、見事に単純な一目惚れだった。

当然例外はあるが、ウェッジウッドカップは主に「パターン」と「カラー」の二つの要素があり、前者は模様そのものを、後者は文字通り色を示すようだ。この製品の場合は、”コロンビア”というパターンの、「ゴールド」というカラーバリエーションである。パターンは古くから愛されてきた伝統あるデザインが長く受け継がれ、長く続いてきたパターンの枠組みの中で、数多のカラーバリエーションが存在するようなイメージだ。

コロンビアゴールドはもともと、1964年から1979年にかけて生産された製品であるが、ウェッジウッド創業260周年を記念して2019年に限定復刻されたのが、自分が購入したこの製品である。

聞いただけなので信憑性は低いが、260周年記念で限定生産された以降も、その枠を超えて別途生産がされ、「オリジナル」「限定復刻品」「別途生産品」の三段階に分けられる…とか。少なくともネット上ではそういった記述が見当たらないため、オリジナルと見間違えての勘違いの可能性もある。

限定復刻品の場合、記事冒頭に載せた画像のように「CELEBRATING 260 YEARS 1759-2019」の印字が施されている。別途生産分は、その印字がないようだ。となると、もし存在するならオリジナルと別途生産分の見分けについてはどうなるのか気になるが、知りようがなく、諦めた。

”コロンビア”シリーズは、公式サイトから引用すると「対をなすグリフィンが繊細な花柄と一体になり作り上げるクラッシックな英国調デザイン」と解説されている。ギリシャ神話のグリフィンに、花は薔薇。

グリフィンは黄金(財産)の守り神だという。
調べると、鷲(鳥の王)の上半身を持ち、ライオン(獣の王)の下半身を持つことから、古来より王家の象徴として扱われたらしい。フィクション、ノンフィクション問わず、紋章等のデザインでよく参考にされているのは、そういう理由からなのか。だから、王室御用達としての品位を体現するため描かれたのが、このグリフィンというわけなのだろう。

薔薇の方だが、コロンビアは花の栽培、切り花の生産、輸出国として著名とのことで、その代表にあげられているのがカーネーションや薔薇のようだ。
欧州への輸出も盛んだったわけだから、コロンビアのアイコン化としての意味があるんだろうけれど、じゃあなんでコロンビアを選んだのだろう、という所になると、分からない。無い知識は絞ったってしょうがない。

”コロンビア”というパターン自体の歴史はとりわけ長いようで、諸外国のいくつかのサイトでは「オリジナルデザインは大変古く、19世紀のデザインブックに登場する」との表記もあった。Wedgwood公式サイトの米国版でも「1880 年代にトーマス・アレンによって最初に作成された最も印象的なパターンの 1 つ」として解説されているから、たしかに古い。

…なるほど、と。本旨から逸れつつも、さらにモニタにへばりついて調べてみる。

パターンとしての”コロンビア”自体の歴史が長いのは勿論だが、各コロンビアシリーズの生産期間なんかもちらちらと眺めてみると、これまた結構長い。この記事の「ゴールド」でいえばオリジナルは1964 - 1979であるから15年くらいだけれども、「ゴールド」より以前に発売され、「ゴールド」より以降も売られ続けた「ホワイト」は、1924 - 1997らしい。実に73年だ。

ウェッジウッド コロンビアホワイト - Google 検索

ちなみに、現代におけるWedgwoodの代表作として著名なのが”ワイルドストロベリー”だが、これは1965年に発売されたデザインで、それ自体も1957年に発売された”ストロベリーヒル”の改良デザインだという。

ウェッジウッド ワイルドストロベリー - Google 検索

ウェッジウッド ストロベリーヒル - Google 検索

Wedgwoodといえば”ワイルドストロベリー”という印象があったが、意外にも歴史は浅いようだ。パターンそのもので見ると、現行では「ターコイズ」で有名な”フロレンティーン”は、パターンの原型自体は1880年ごろとのこと。うーん。これは、コロンビアと同期?

ウェッジウッド フロレンティーンターコイズ - Google 検索

調べつつ思ったのだけれど、1880年代以降のデザインであるコロンビアシリーズで、検索してヒットした中で最も年代的に古そうなのが「ホワイト」だったが、1924年に発売されるまでの空白期間が結構長いから、まだ他にも種類がありそうだ。いかんせん英語は読めないし、それらしい記述も見落としてそうだし、どうしたって上手くいかないものだ。

ニッチではあるかもしれないが、廃盤品含むラインナップを年表的な体裁で解説するような本でもあれば嬉しい限りである。

――ともあれ、コロンビアはきわめて長く愛され、同社の苦楽と盛衰に寄り添いながらも、万古不易ともいえる伝統的な美的精神というか、デザイナー、ひいては同社の見据え続けてきた理想を脈々と受け継ぐための何か具現のようにも思えて素敵だと思っている。

そうでなければ、復刻もなかったろうし、特別なパターンであることは間違いない。

上述のようにコロンビアは生産年も幅広いから、市場流通も多く(ピンキリ)、入手性が比較的容易(ピンキリ)だ。なので、今に至るまでにゴールド、セージ、ローズ、サファイアを購入し、おそらくはこれからもコロンビアが増え続けるだろうと期待している。(というより入手性で考えたら他パターンは…)

さすがにポットで”コロンビア”は気軽には手を出せず、パターンとしてかなり気に入っていた”アレクサンドラ”を妥協で当時購入した。全体的にコロンビアは財布に辛辣である。使えば使うほど愛着は湧くもので、今となってはもはや妥協とは言えないのだけれど。

といっても、この子だってブランド外の市場で比較すれば高価な方だし、いくら暖かい紅茶を口に含もうと、懐の寒風はやみどころを知らない。

英国調と称される"コロンビア"の中でも、白地に金彩という、格調高さの中にもとりわけ淑やかさというか、高潔さの静かな主張が印象的なように思うから、淡い水色のマハラジャダージリンでベーシックに満たすのが個人的なお気に入り。

とはいえ、最初のカップ&ソーサーだったこともあり、初めて試す茶葉、少し腰を据えたタイミングだとか、色々と迷ったときにはとりあえずこの子を選ぶ。そういう特別なフェイバリットカップちゃんなのである。

カップで味が変わるはずもない。

紅茶は常に美味しいし、飲むだけなら概ねカップに貴賎なし。綺麗だからといって、ここまで身銭を切る意味もなし。一方、面倒に思えても「浪漫である」と流すのも気が引ける。何故好きなのかは分からないけれど、好きだと思えることはきっと良いことなのだ。

ならば、良いことした自分へのご褒美に、好きなカップで好きな紅茶を飲むという、ただそれだけのことなのである。

――ところで、最近になってダージリン(というより茶全般において)の評価として頻繁に使われる「甘み」というのが分かるようになった。甘味をほおばった時の甘さが絶対的な甘さであるなら、茶の甘みは相対的な甘さだ。ほかの銘柄に比べて甘い、というように。筆者は激怒した。味覚音痴にはそれが分からぬ。

味覚のベースになる茶を体に覚えさせ、いくつもの茶を飲み比べて、ようやくそういう引き算的な結果として算出される甘みが分かるようになったが、安かろうが高かろうが「美味い」と十把一絡げに平らげる単細胞には、少しばかり敷居の高い趣味だったと痛感した。

でも、甘かろうが苦かろうが茶は茶であるし、いずれにしても美味いものは美味い。

真の価値を知らないのだと謗られるだろうが、あれは不味い、これは悪いと目を眩ませるのが、趣味における唯一の方法だとは思えない。

豚は真珠に眩まず、猫は小判に眩まず、馬鹿舌は茶の良し悪しに眩まないのである。

今は昔

4年前、友人と茨城の海へ行った。

寒明けもそぞろに、内陸県民の本能にひそむ熱い憧憬に誘わるるがまま、友人の車に揺られて海を見た。昼頃につき、夜の海を楽しんで帰った。

時間も熱量もあるが、どうしたって金はないから食事は低め少なめで見積もるし、そのくせ面白そうなものには惹かれるもので、行きのついでに現地の総菜を買ってつついたりと、どうにも映えのない旅だった。小海老の甘煮、鯉の刺身にアイスプラント、たまりかねて買いに走ったコンビニ弁当。

寒風吹きすさぶ夜の海、冷え切ったそれらを堪能するには、あまりにも自分らの味覚は肥えすぎていた。

とはいえ、これまたどうしたことか、自分らにはこれがよほどツボだったようで、この日を境に、特異な旅情感を持った遠征グループが出来上がった。メンバーも増え、自分は二輪と四輪を手に入れ、人員の輸送も、行動範囲も広まり、今に至るまで自分の人生の中でももっとも濃密かもしれない青春を形成してくれたコミュニティでもある。

東は行った、北もちょっと行った、西はまだまだ、南はもっと欲しい。

ただ走るためだけに山へ行った。ちょっとした漫画の聖地めぐりがしたいと、街も走った。星を見たいといって、泊まりがけで遠征もした。深夜の通話中、日の出が見たくなってきたと言って、急遽太平洋側へ躍り出たりもした。

自分の愛車は2シーターで、車中泊する人種に一切の人権を与えない布屋根の棺桶だが、そういう窮屈さでさえまんざらでもない充足感を感じるほどに、こういう旅が好きだったのだと思う。


「あの頃は凄かった」
「もうあんな風には出来ないな」

年末、忘年会をしていた時に出た言葉だ。
つい先日の伊豆旅行でも、同じような話が出た。

社会人になり、体を休めるための休暇の価値はインフレし、その日時ですら都合も合わず、物理的な面で不可能なのだから、しょうがない。否が応にも人は前に進んで行かなければならないし、過去を振り返るにしても、前への注意を疎かにしてはいけない。

伊豆では宿をとった。銭湯の雑魚寝でもなく、車中泊でもなく、宿である。温泉もあり、足をのばして眠れる、柔らかな布団がある。正直のところ、これまでの旅がまるで冗談だったような気持ちでいた。
疲労も相まってあまりに心地よいのでうとうとしていたら、友人が絶え間なくちょっかいをかけてくるから、枕でぶん殴ってやった。しかし、よけられた。

素泊まりだから食事はないが、夕食は中華料理屋へ行った。翌朝は著名な道の駅で金目鯛のバーガーをほおばり、「観光地よナメるなよ、これが大人の財力だ」と啖呵を切るがごとく、お隣の定食屋をはしごした。旨いものは飲むように食べられるのだ。

夕方には海沿いを歩き、休み明けのことを、それぞれの明日を、将来を憂いながら帰路に着く。社会人とは、そういうものなのだろう。
この旅のさなか、人はいつ死ぬか分からないから、とか、この先老いていったら、とか、やけに抗えない時の流れを意識した会話も多く、水平線をもにじませる夕闇でさえ、ささやかな陰りを塗りつぶせずにいた。

日々は連なり、やるべきことが増え、やりたいことを潰し、激動のようにも感じる平坦な時間をやり過ごし、気づけば身にも心にもくたびれが窺える。こうなってしまえば、月日は百代の過客でもなく、行く年も不貞腐れて万年床に臥す。

そうして過去と現在が明確に剥離していき、その間を日々という分厚い膜で何層にも隔たれるうち、ついに過去の行為に再現性がなくなっていく。「いつからが昔なのか」と考える時、いろんな観点はあるだろうけど、まっさきに思い浮かぶのはこの、再現性がなくなった時のように感じる。

「今はもう出来ないだろうね」

そう受け入れた瞬間、その記憶と経験は昔のものとなり、蝋燭のように、鉄が錆びるように、じんわり、じんわりと風化していくに違いない。

もし、出来ないのであれば、会わなくなるかもしれない。会わないのであれば、話すこともなくなるのかもしれない。話さないのなら、疎遠になる。
疎遠になり、その関係が昔のものとなり、ただ朽ちゆくままに、いずれ無かったことになるかもしれない。だって人間は、前に進んでいるんだもの。新しい環境で、新しいことをする。過去を割り切り、そう生きていくのであれば、それでさえも正しい選択なのだろう。

そこで、ぼんやりと思い出した記憶があった。
就活の頃、こういう話をしたのだ。

「社会人になるうえで、過去のコミュニティとの関係が希薄になっていくことに、少し怖く思うところもあります。」
「みんなそう思って社会に踏み込むんだよ。誰かが言い出すのを待ちながら、ひたすら口をつぐんでる。だから、そのままじゃ想像通りの結末になる。”誰かが”ではなく、”君が”声をかけ続ければ、問題ない。」

とてもとてもエラい人の言葉だ。単純な話だけれど、人生の遥か先を行く人間の話ともなれば、重い一撃のように思われた。
こういう言葉も思い出す。

「人を動かすのは、君の熱量だ。」

これも、それはそれはエラい人の言葉だ。
元来自分はやる気も、興味関心、執着もないように見られるような風体で、いや、間違いではないのだが、それにしたって自分には無理な話だと流していたお話である。
おそらく、就活の頃は仕事のことしか視界にないから、主体性とか、熱量とか、そういうものを熱心に仕事へ向け続ける自分というのが想像できなかったもので、この期に及んでもそれは正解だった。

その一方で、自分の好きな人々、好きな物事にこれを注ぐというのであれば、それは苦ではないし、たいそう大事なことだと今になって気付いた。今更だ。この歳になって。それでも、死ぬ寸前に気付くより、よっぽど良いはずだ。
エライ人はきっと、それだけの熱量と向上心を持って仕事に励めと言いたかったのだろうが、もはやそんなことは些事である。やんごとなき方々の御言葉を、自分は自分の我儘のために、この話の中においてはすなわち、自分の好きな人々の後ろ髪を引っ張るためだけに使ってやろうという意気込みである。

「今はもうできないね」

そう言うのであれば、忘れたころにでも似た企画をぶつけてやるのだ。今だってやれることを証明できたなら、過去になる余地はない。都合が合わず、日々梨のつぶてになると言うのなら、何年かけてでもモノホンの梨を投げ続け、馬鹿言ってないで旅に出るぞと戸を破ってやるのだ。そういう気概だ。

再現性がある限り、思い出も経験も、きっと今を生き続けてくれると信じたい。
目を離せば新しい道へと歩んでいきそうになる彼らの後ろ髪を巻き上げ、過去化する思い出を今へ呼び戻せるのであれば、こんなにロマンチックなこともないだろう?と晴れやかにささやき、車内に押し込んで遥か未開の地でフィッシングでもキャンプでもしてやるのだ。

徒然なるままにブログを立ち上げたのも、好きなことへの最大限のアプローチを続けることが、のちの自分を少しでも救ってやれるのではないかと思う、つまり利己的な理由なわけである。そう言って更新しないことも否定できないが、これはサガだからしょうかない。

ともかくまずは、また旅がしたい。
今度は二泊ぐらいしたい。長ければ長い方がよい。
何泊もすれば、一度くらいは枕叩きをお見舞いしてやれるはずなのだから。